地球星座は「魚座」
太陽星座(一般的な星占いでのあなたの星座)が「乙女座」の方は、ヘリオセントリックでの地球星座は、180度反対の「魚座」となります。
地球星座が魚座であることとは、何を意味しているのでしょうか。
繊細で几帳面
まずはじめに、太陽星座である「乙女座」の性質を考えてみましょう。
太陽星座「乙女座」の要素として、几帳面さというものがあります。
視覚的に目に映る物がきちんと整頓され、秩序がないと落ち着かなくなるというような傾向があります。
整然として機能的であり、役に立つものを好みます。それは自分自身に対してもです。
いつも繊細な心で自分を省みて、正しいあり方であろうとし、周囲の役に立つ自分であろうと努めます。
何かに貢献することは喜びであり、ミスをしたり失敗することは許せないという傾向があります。
やや自己反省的で、どこか息苦しく自分を型に当てはめようとします。
型にはまっていれば安心できるし、周囲に認められることでも安心します。そのため、役割というものに自己同化しやすい側面があると言えるのです。
ありのままの自分ではなく、役職や立場こそが本当の自分と思いたがる節があります。そうやって自分自身のことも整理整頓してしまうのです。
それが上手く機能しているうちは、それほど問題はないのですが、あまりにも本来の自分を抑圧すれば、内部で不満がたまり続け、それをさらに抑圧しなければならない悪循環となります。
得体の知れない息苦しさに苛まれ、こんなに頑張っているのになぜ? こんなはずではなかった! という気分に陥り、空回りを続けてしまうこともあるかもしれません。
優秀な秘書のようだった自分が、頑張っても役に立てていない、どうしたら役に立つのかわからないという状態は、乙女座さんにとって大変なストレスとなるでしょう。
海のような混沌の世界
その限界を超えていくために、正反対の性質である、地球星座「魚座」の性質を思い出すことを、宇宙は教えてくれています。
それはもちろんあなたにもともと備わった性質なのですが、地球上の価値観に染まるうちに、見失ってしまったものと言えます。
地球というせまい檻に閉じ込められ、太陽を見上げる視線でしか世界を捉えられなかったからです。
本当のあなたは、太陽から地球を見下ろしているまなざしです。その方向性を、正反対の魚座のあり方が、示してくれているということです。
魚座は水の星座であり、水は形を持たず、あらゆるものに染み通ります。
そしてあらゆるものを溶かし込み、抱きかかえたまま、混沌とした状態を保つ性質があります。
常に形を変え、とらえどころなく、秩序がない混沌は、乙女座さんが一番苦手とするものです。
乙女座さんはまるで、望遠レンズをつけたカメラで、一部分だけを拡大して見ているような感じです。
それに対して、魚座の目は、魚眼レンズのようなものかもしれません。極端に視野が大きく、広い範囲を視界に入れることが出来ますが、そこに映る像は歪んでいます。
正確さを期すことに命をかけてきた乙女座さんには、歪んだ曖昧な像は受け入れがたいものかもしれません。
視野が大きくなれば、見たくないものも一度に視界に入ってしまいます。
乱れていて、整っておらず、混沌としたものをそのままで受け入れるということは、プライドが許さないという感覚かもしれませんが、そこに大きな拡大の芽があります。
今までの小さな世界で、どんなに完璧に整えてきたとしても、それはあくまで小さな井戸の中の出来事だったということに気づきます。
一度、広い海に出てみる必要があります。井戸の中で生きることに息苦しさを覚えていたのなら、その時が来たということなのです。
海の中には得体の知れない生物もいるし、まったく予測不能です。
今までの予定調和は見事に覆され、あらゆるものがあらゆる方向へ向けて動いている、まさにカオスと言った場所に身をおくことになります。
ある意味で「汚い」その場所に、きれい好きだったあなたはなかなか馴染みにくいでしょうが、理屈ではうまくいかないこと、自分でマネージメントできないことにこそ、大切な鍵が隠されています。
いい加減で曖昧で、適当で、ぼんやりしていて、行き当たりばったり、そういった言葉はこれからのあなたにとって褒め言葉となるでしょう。
自分の内部を整理して片付けるとき、使いものにならないようで、要らないものと判断し、ゴミ箱に捨ててしまった中に、大切なものがあったのかもしれません。
もう一度、ゴミ箱を引っくり返し、部屋を散らかしてみましょう。
苦手なもの、嫌いなものもなんとなく受け入れて、そのままにしておけること、共存できるということは、器が大きいということでもあります。
その曖昧さの中に、ぼんやりと形のない直感や、イマジネーション、スピリチュアルな気付きなどがやってくるスペースが生まれるのです。
眠っていたあなた本来の霊感が、目を醒ますことでしょう。
直感やイマジネーションはそもそも理屈では解釈できないものです。
それは自分でコントロールできるものでもなく、良い悪い、正しいか間違っているかの判断を優に超えています。
自分の価値観による「こうあるべき」というジャッジメントは、思っていたより役に立たないものだった、ということを知るのでしょう。
より大きな視野で世界を見つめ、やってきたものをただ受け入れるという受動的な態度が、時として、大きな広がりを生むということに深く気づくのだと思います。
それが、あなたが魂の全体像に還っていくために、かならず必要となるミッシングピースであり、今まで見えていなかった盲点となっていたのです。
その盲点もしっかりと視野に入れてあげたとき、私たちは魂の真の望みを生き始めます。