隕石の鑑定室

Helio☾entric Astrology

ヘリオで得られる人生を切り開くヒント

当たってる!だけどどうすればいいの?

 

私は、ヘリオセントリック占星術に出会うかなり以前から、占星術自体に多少の興味は持っていて、鑑定をしてもらったことも何度かありました。

自ら学んでみようという気持ちはまだ全く無く、占星術は膨大な知識に支えられており、誰もがみだりに手を出せるものではないと思っていました。
ただ自分の行き詰まった人生を見つめて、なんとかしたいと、あらゆる情報を渉猟していた時期でした。

いろいろな精神疾患を抱えて、プラスに成長していくどころか、ゼロ以下のマイナスの領域でもがいているような日々の中で、なんとかして出口を探そうと必死でした。

 

ジオセントリックのチャートを見ると、太陽と土星、月と冥王星がかなりのハードアスペクトで、土星を含むヨードが2つ、そのうち1つはカイロンを含むという、なんというか、精神的に満身創痍(笑)なチャートとなっています。

人生の苦しみの質や方向性などが見事に現れていて、すごい当たってるじゃん!と興奮を覚えはしたのですが、そこからどう脱していったらいいのかというのは、今ひとつ明確な手応えが得られなかったんです。

今こういう人生になっているのは、なるほどこういう星の下に生まれたからなのだな、仕方ないよな、で終わってしまう感覚でした。同じ場所をぐるぐるしてしまう感覚です。

課題だけが積み重なり、どう取り組んだらいいのかはぼんやりとしていて掴み所がないという感じでした。

 

正反対の方向からの一撃

 

ヘリオセントリックの存在をひょんなことから知り、これは素晴らしく革新的で、全てをひっくり返すパワーがあるものだと直感しました。
時代を牽引する新しい理念と軌を一にするもの。とてもスピリチュアルで、高次元的で、胸が高鳴りました。

 

ヘリオでは、地球と土星の関係から「自己批判や抑制の傾向を持ちやすい」けれど、そこから「自分ルールを築いて生きる」という、ジオに近いような部分も見られましたが、それ以外に、脳天をかち割られるような正反対の方向からの一撃を食らったように感じられる部分がありました。

水星のサビアンは『宵の芝パーティー』、華やかに自信満々で自己アピールしていく度数。そして、伝達やコミュニケーション、執筆などを示すエリアにあります。

地球は『熱弁する婦人参政運動家』、自分の主義主張を厚かましいくらいにガンガン発信していくという内容でした。

 

それは実際の私には全く欠けているような部分で、華やかに自己アピールするなんて考えられないような、内向きの大人しい性格をしていると自分では思っていたんです。

しかし、ヘリオに示されていた在り方を見て、一瞬で全てが氷解していくような感じがしたのをまざまざと覚えています。見事にミッシングピースがはまったような感覚です。

 

その上、水星と他惑星との角度から、魂の生き方へと目覚めると水星の能力が開花する、と暗示されていました。

私自身、ある時から急に表現力が目覚めたような実感があって、思うことを言葉に置き換えることに喜びが伴うようになったのを確かに感じていました。そのため、この角度の示唆することは本当だ!と、身震いするような体感があったのです。

表現していくこと、書いていくことが魂の方向性なのだと、一気に見えました。
それも、魂のご縁のある、少ない人間関係でかまわない、そのなかで伸びやかに自分を主張して生きることがブループリントなのだとわかり、決して大勢に対し社交的になる必要などない、ということも悟りました。

 

こうして書いても、なんだか大したことではないように思えてしまうかもしれませんが、盲点として全く見えていなかった点が突然目の前に現れることは、本人にとってはものすごく衝撃的で、心が激しく揺さぶられるような体験となりやすいんです。

そのことが見えてから、自分のなかで血のたぎるような熱を感じて、まるで鞭打たれて夢中で突っ走る馬のように、後先考えず学び、開業まで準備し始めました。
私は沈思黙考型で、腰は重い方だと思っていましたが、とんでもなかった。むしろ流れよりもっと早く走ろうと気がはやるのを、なんとかねじ伏せ、押さえつけなければいけないほどでした。
自覚していた腰が重いという資質は、社会の中に適応するために作り出された処世のための仮の姿で、本質はこっちなのだと、実はぼんやりと気づいてはいました。

そして、なぜかスルスルと事は運び、嫌になったらやめちゃおうと思いつつ見切り発車し、このサイトも立ち上げました。

特にヘリオ占星術に限ったことではなく、自分のアンテナにかかったことは迷わず発信していこうと、躊躇うことなく進むことができました。その後も、疲れるならいつでもやめちゃおうと逃げ道を残しつつ、自分のペースでゆっくりと続けることができました。

 

そこには特別な努力も必要なかったし、苦しみも我慢もなかったです。魂のストーリーに沿ったことであれば、この「なぜだか導かれるようにすんなりと進んだ」という感覚があるものだと思います。

本当に必要なことは、その時が来れば、自然にできるものなのではないでしょうか。『全ての業には時がある』旧約聖書にある言葉だそうです。

 

肌感覚を大切に

 

ジオセントリックのチャートを見ると、誰のチャートでもそうなのですが、何かが胸に詰まるような感覚を感じます。

ベクトルが収縮する方向を向いているように、私には感じられます。そのためどこか息苦しくなってしまうんです。
ヘリオは、逆に、世界が拡大していくような感覚があります。

占星術の基本的な知識は共通している部分も多いので、独学する中でジオの知識もある程度吸収しましたが、チャートを見ているとどうにも息苦しくなって、やめてしまいます。

その、なんとなく肌感覚で嫌と感じるということは、とても大事なサインだと思うので、自分に強いないことが大切と思っています。

 

ヘリオは、想像だにしない、斜めの方向から、えっ?と驚くような提案をしてきます。驚きはするのですが、深い部分ではそれが真実だと分かっているので、反面でとても懐かしいような、ごく自然に馴染んでくる肌感覚があると思います。

すでにブループリントの道程に沿って進んでいる方は、この自然である感覚、生まれる前からずっとそばにあったような感じだけを感じられると思います。

 

何度も繰り返していますが、決してジオセントリックを否定しているものではありません。どちらが正しい、優れているということはなく、自分に合うものを知り、選択する自由があるというだけです。

ご自分の感覚を大切に、好ましい方を選べば良いのですし、ジオとヘリオ、両方を取り入れてみるのも良いと思います。