「星占い」と「占星術」の違い
初心に立ち返って、ごく基本的なポイントから今回はお伝えしたいと思います。
世の中には星占い、占星術、星読みなど色々な用語があって、そもそも「星占い」といわれているものと「占星術」との違いが曖昧な方もいらっしゃるかもしれません。
個人的には、「星占い」と「占星術」は、似て非なるものと言っていいと思っています。
占星術は、太陽系すべての惑星、そして月、アセンダント等(これらはヘリオでは出てきませんが)のポイントを総合して読むものです。
星座についても太陽だけでなくすべての星に関して読みますし、サビアンシンボルなどは一度ごとに異なってきます。それぞれの惑星の角度や、どのハウスに属するかという点も考えます。
それを総合して読み込むと、その人の人生の全体像が浮かび上がってくる……それを表現するのが占星術というものです。
(ちなみに「星読み」というのは、特に明確な定義はないし何を指すのかはっきりしませんが、占星術をとっつきやすく、易しく柔らかく表現したいときにそう言うことが多いのではないかな?と感じます)
その複雑な占星術をぐっと単純化して、太陽星座は何なのかというただ一点だけを見るのが、一般的に言う星占いです。
ですがそれは、すべての人を12種類に分類しただけのことで、血液型で性質を判断するのとほとんど同じ、とても大雑把で機械的な分類です。星占いは「分類」なのです。
私は何座です、と良く言われますが、それはあなたの星図の1ポイントだけを示しているに過ぎません。
太陽星座は確かに中心的な存在であり、重要な位置を占めると言えますが、それでも全体の一部です。なのでそこだけ取り出せば、よく当たっていると感じる方もいれば、イマイチピンと来ないという方もいて当然です。
更にヘリオセントリックの場合は、この太陽星座は正反対の位置にある地球星座に置き変えられますから、星占いとヘリオセントリックは直接の接点はないということにもなります。
占いに自分を明け渡さないで!
巷にあふれる星占いは、既に占星術の域を完全に離れて、ファンタジックなエンターテイメントとなっているような気もします。今日のラッキーカラーとかラッキーアイテムというものは、占星術とは全く関係ないものだと思ったほうがいいと思います。
エンターテイメントとして楽しむ分には一向に構いませんが(もちろん多くの方はそうしているでしょうが)、それを真に受けて行動・判断の指針にしてしまっているような場合、とても危険です。
そのような方は、洗脳にかかりやすいし、他の人の意見に流されやすく、悪意ある人に騙されやすいと言えるかもしれません。
私のような鑑定をする人間が「占いを信じないでください」というのはおかしなことと思われるかもしれませんが、度々お伝えしているように、ヘリオセントリックは占いではないというのが私の考えです。
ヘリオセントリックに関心を持つような方には、そのように占いに踊らされてしまう方は少ないのではないかと思いますが、心が弱ったときほどラッキーアイテムのようなものにすがりつき、言う通りにそれを身に着けたから大丈夫!と自分を安心させたくなったりするものですよね。
心が弱ったときほど、外界に頼りたくなっているのだということを自覚して、一度気を引き締めたほうがいいのかもしれません。
星占い程度なら害はないと思いますが、同じようなやり方で他者に判断を委ねてしまいがちになるからです。
社会にそのように弱った心につけ込もうとする側面があるのは、悲しいことですが事実なのかもしれません。一部の宗教組織などと同じく、信じた人が被害者となるような構図です。
権威ある有名人だから大丈夫、という考えも危険です。その世界で名を馳せた方は、その名前をブランドとして利用されてしまいがちで、それを拒むことも難しく、大人の事情で名前を売っているだけだったりします。
そんなことはわかりきってるよ…!と思われるでしょうが、これも心が弱ったときには知らず知らず、強いもの、権威あるものに追従したくなることがあるので、気をつけなければいけないポイントだと思います。
占いでも、宗教でも、精神哲学・スピリチュアルな教えでも、何でも同じです。
盲目的に何かに従うという姿勢は、自分の中に大きく欠けたものがあるということを示しています。
それを補いたいがために、自分を明け渡してしまうという姿勢です。
そのような場合、どんなに素晴らしい教えに従っても、学べるものは何もないだろうと思います。自分のコックピットを他者に委ねているのと同じですから、操縦できるようにはなりません。
自己中心的に生きる
ヘリオ占星術には、たとえすがりついたとしても何も答えを得られないので、この点は安心です。
ヘリオからの情報を解釈して、自分に当てはめて考えていくのは自分しかできないことで、ああしなさいこうしなさいというアドバイスがもらえるというものではないからです。
あくまでヒントをもらえるものであり、軸足をしっかり中心に保っていなければ逆に混乱するかもしれません。
自らの魂に還っていくことがヘリオの主眼であり方向性ですから、簡単に外側の誰かの言うことに左右されてしまうという状態では、ヒントを受け取ることは難しいのです。良い意味で自己中心的であることが必要不可欠です。
外界の洗脳やカルマの影響から目覚め、自分で選び取り、自分で決断し、主体的に自分を生きていくという決意(…というほど仰々しくなくていいのですが)を持ったときに初めて、ヘリオからのメッセージは立体的にその姿を浮き上がらせるでしょう。
ホログラムみたいに、装置のほうが整わないとその情報を形にして現すことができないのです。
でも大丈夫、それは全く難しいことではありませんし、いつでも可能なことです。そう選択するだけでいいのですから。
いつも思うのですが、大切なことはみな驚くほどシンプルで簡単なのです。それを難しいのではないか、できないのではないか、と疑う心が本当にそれを困難にしてしまっているだけなのです。
最後に…
誤解のないように書き添えておきますが、占いそのものを否定しているのでは決してありません。
私自身も占い的なものには色々お世話になってきたし、それで心が晴れたり心強く感じたりしたことも多々ありました。
ただ、占いはあくまで自分自身を「確認」するものです。振り回されないでほしい、ということが言いたいのです。自分の操縦席には自分だけしか座らせてはいけない、ということはとても重要なことだと思います。