ブループリントを生きるために
従来のジオセントリック占星術は、人生に起こる問題がどういったものかを描き出すのではないか……。
それに対しヘリオセントリック占星術は、人生の問題を解決する方向性を指し示すものではないか……。
これは私の主観ですが、肌感覚でそう感じています。
ジオセントリックは、この社会の中にどう適応していくか、個人のエゴの部分をどう満たしていくのかといった、どちらかと言えば近視眼的な見方が中心です。
人生で起こることの理由を探すのには、とても向いています。
それに比べヘリオセントリックは、魂が地球にやってくる前に描いていた青写真とでも言いましょうか、本来の魂のままに生きるならば実現できる最高の可能性を示していると言えます。
ジオと比べ、どうしても具体性には欠け、観念的抽象的な解釈が多くなります。具体性やわかりやすさが欲しいならばジオの方が向いています。
エゴという壁
私たちは実際にこの社会のシステムのなかで生きており、エゴを全く持たずに存在することなど不可能です。エゴを持つことが悪いことなのではありません。
しかしエゴの視点だけで生きるとき、ある程度の成功を手にしたとしても、必ずといっていいほど大きな壁に直面することとなります。そこには限界があります。
その限界を知り、それをなんとかして乗り越え、飛躍すること。そのために私たちは必死にもがきます。
従来のジオセントリックは、その限界の在り処をまざまざと教えてくれることがあります。
けれど、これは私の主観かもしれませんが、それを抜け出して次のステージに昇るための道筋は、そこには示されていないように思うのです。
「ああ、私の壁はやはりここにあるんだ、すごい、本当にピタリと当たってる!」と感動しても、その壁を乗り越えられるわけではありません。
こういう問題があったから、こういう現実になっているんだ!とわかっても、それですぐに解決できるわけではありません。
もちろん、現状を深く知り、与えられたものを謙虚に受け容れていく姿勢は大切で、そこから全てが始まるのだと思います。
しかし、自分の中にある受け入れがたい資質を深く受け容れて、納得したとして、それで終わりではありません。やっとスタート地点に立ったということなのです。
神の視点へ
では、どうやって壁を越えていけばいいのか。そのために必要なものを示してくれているのが、ヘリオセントリックの星たちなのではないかと私は感じています。
必要となるのは、大きな意識の改革、方向性の大変換。
問題が起こる次元と同じ次元にいては、答えは見えてきません。
それは大きなパラダイムの変化であり、個の視点を超えたワンネスの視点への転換とも言えるでしょう。
どちらへ向かっていけば、その転換を起こせるのかを暗示しています。
その方向は大抵、慣れ親しんだものの中にはないものへと向かっています。知らないものだから、気づきにくいのです。そこに光をあてるということです。
そして、地上という狭い世界に閉じ込められていた私達が、太陽の視点を持ち、太陽系の全体像を見つめることで世界へと解き放たれます。
そのとき、地球=自分はいくつもの惑星のなかの一つの機能、全体のなかの一部だということを知ります。
宇宙が求める役割を知りそれを果たすことが、自分という個人の、心の奥底から湧き上がる情熱と完全に一致している、その奇跡的な真実を知ることとなります。
私たちは生かされている
星とのつながりが深まると、ごく自然に「生かされている」という感覚を持つようになります。
エゴを超越し、魂の求める静けさを生きていく歓びを知るのです。
噛み砕けば…
本当のあなたらしく生きることが、宇宙全体の望みであること。
あなたの真の歓びが、宇宙全体に貢献することになるのだということ。
その鍵を得るための、強力なヒントをくれるのが、ヘリオセントリックなのです。