地球星座が『天秤座』
太陽星座(一般的な星占いでのあなたの星座)が「牡羊座」の方は、ヘリオセントリックでの地球星座は、180度反対の「天秤座」となります。
地球星座が天秤座であることとは、何を意味しているのでしょうか。
純粋なエネルギーの塊
まずはじめに、太陽星座である「牡羊座」の性質を考えてみましょう。
太陽星座「牡羊座」の要素として、自我感覚というものが何より根幹にあります。
まず、この世界に生まれ落ち、最初に感じるのが自分とは何かということなのです。
自分は何を感じ、何を好み、何に心が動くのか、それを世界に対して一直線に押し出していくのが「牡羊座」の基本的な性質と言えます。
山に登り、山頂で叫べば、こだまが返ってきます。
しかし牡羊座の人にとって、叫べばそこで終わりなのです。私は叫ぶ。そこで終わってしまい、返ってくるこだまを聞くという概念がありませんでした。
自分の行為に対する評価というものが外界から得られることがないのです。そのようなシステムが心の中に構築されていません。
そのため、自分が周りにどう感じられているのか、推し量るということがとても苦手です。
繊細な心を持つ牡羊差さんは、他者との関係の中で、自分がどう立ち回ったら良いのかわからず、他者を傷つけてしまわないだろうか、迷惑になってしまわないだろうかと、とても気に病んでしまうことがあります。
返ってくるこだまを聞く耳を持てないのですから、反応がわからないのは当然と言えます。
反応をとても気にしていながら、反応を知ることが出来ない、そのジレンマはとても苦しく、不安にさいなまれることがあるでしょう。
また、自分を中心に据え、突き動かされるままに、アグレッシブに突っ走ることは良い面もありますが、当然のように悪い面ももたらします。
障害物に派手にぶつかって、大怪我をして止まるということでは、命がいくつあっても足りないのです。
牡羊座さんは、生まれたままの赤ちゃんのような部分があります。
それは単に未熟だという意味ではなく、どこまでも純粋なエネルギーの塊であり、それをコントロールする思考の部分がインストールされていない、まっさらな命のエネルギーそのままだということです。それはとても美しい特質です。
ハンドリングとブレーキングなしに、車の運転は出来ません。そのようなコントロール能力を手にすれば、内側で躍動する激しいエネルギーを上手く使いこなすことができるのですが、その部分をなかなか磨いていくことが出来ないでいるのです。
秤に自分を載せてみる
その限界を超えていくために、正反対の性質である、地球星座「天秤座」の性質を思い出すことを、宇宙は教えてくれています。
それはもちろんあなたにもともと備わった性質なのですが、地球上の価値観に染まるうちに、見失ってしまったものと言えます。
地球というせまい檻に閉じ込められ、太陽を見上げる視線でしか世界を捉えられなかったからです。
本当のあなたは、太陽から地球を見下ろしているまなざしです。その方向性を、正反対の天秤座のあり方が、示してくれているということです。
天秤ですから、「はかり」です。2つのものを皿に載せ、バランスを取り、2つの重さを比較して評価する。必ず自分とともに他者があり、その関係性に基準が置かれます。
世界に自分を押し出すことばかりに重きをおくのを、ちょっとだけやめてみて、まず周囲のこと、他者との関係を先に意識に置くようにしてみると良いかもしれません。
自分を世界に押し広げるとの同じくらいに、世界を自分の中に押し広げてください。つまり、周りの要求にまず耳を傾けて、自分の中に取り入れてみることが大事になります。
自我をちょっと脇において、まず、世界の手触りを感じるのです。
どこまで押したら、どんなふうに押し返されるか、その手触りをよく味わうことです。
熱さや衝動で動くのではなく、冷静に、まず人のふりを見ます。人のふり見て我がふり直せと言いますが、一度、人との違いを徹底的に観察し、自分の限界、境界を意識する必要があります。
それは、自分軸を失って他人軸で生きろ、ということではありません。自分以外の軸の存在を知って、客観的に見比べるということです。
自分は自分、と完結させたい心を一時眠らせて、積極的に人との関係の中に身を投げ、自分がどうしたいかよりも、何を求められているかを先に考えてみます。次第に、期待に応えることを喜びだと捉えることができるようになるでしょう。
また、自分の望むことと、周囲に望まれることが、どれだけ一致して、どれだけ乖離しているか、感情的に反発するのではなく、冷静に観察してみると良いかもしれません。
そうして揉まれ続けることで、自分の輪郭が削り取られて、そのシェイプが変わってきます。その経緯は痛みを伴うかもしれませんが、人と自分の境界線をはっきりとさせることが出来てきます。
すると不思議なことに、逆説的に、周りの反応や評価に振り回されなくなっている自分に気づくでしょう。
自分を少し離れたところから見つめることができるようになり、いつのまにか不安な心が減り、心が穏やかになっていのを感じられるのではないでしょうか。
他者は、自分をより深く愛するために、鏡となってくれているのです。
そうするうちに、コントロールが難しかったエネルギーを上手にハンドリングできるようになり、どこでアクセルを踏み、どこでブレーキを踏めばいいか、その感覚が磨かれていきます。
そのバランス感覚が、あなたが魂の全体像に還っていくために、かならず必要となるミッシングピースであり、今まで見えていなかった「盲点」となっていたのです。
その盲点もしっかりと視野に入れてあげたとき、私たちは魂のままに生き始めます。