隕石の鑑定室

Helio☾entric Astrology

太陽星座が「牡牛座」の方へ

地球星座は「蠍座」


太陽星座(一般的な星占いでのあなたの星座)が「牡牛座」の方は、ヘリオセントリックでの地球星座は、180度反対の「蠍座」となります。

地球星座が蠍座であることとは、何を意味しているのでしょうか。

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どっしりと動かない山のような

 

その前にまず、太陽星座である「牡牛座」の性質を考えてみましょう。


太陽星座「牡牛座」の要素として、肉体の感覚をもっとも重視します。

自分の肉体が心地よく感じること、美味しいもの、美しいもの、楽しむことが大好きで、物質的、感覚的に満たされることが大切と感じています。

また、頭脳も肉体の一部とすれば、とことんじっくりと思考するようなことも得意です。

感性や美意識に優れていて、五感を通して世界を味わい、世界を通じて自らの感覚を味わうことに、深く喜びを感じます。

 

じっくりと腰を据えて、どっしりと動かない、山のような存在と言えます。

山には豊かな実りがあり、自然に溢れ、四季折々その恵みを受け取り、味わうことが出来ます。その豊かさは何物にも代えがたいものです。

牡牛座さんは、みずからの感覚、感性を目一杯広げて、それらを味わい尽くすことに人生の基盤をおいている傾向が強くあります。

 

それはとても素晴らしいことですが、反面では、山は自らどこかへ歩いていくことも出来ず、やってくるものをただ受け入れ、受け身で人生に向かい合っているとも言えるのです。

そして、自分の今に若干の不満があろうとも、それを解決しようと動くことがありません。それは怠惰と呼ぶことは出来ないかもしれませんが、ある種の諦めであって、自ら変革していこうという意欲の欠如とも言えます。

 

人間関係においても、積極的に多数の人と交わろうとはせず、安心できる身近な人とだけ接したがる傾向があるでしょう。

そして、身近な人とさえ、深く共感し合うことを求めてはいないと言えるかもしれません。あなたはあなたの感性で、私は私の感性で生きていて、それらが交わることがなくても当たり前だと考えてしまうからです。

 

同じ場所で、いつも自分の五感と向き合い、自分の感覚の内部に安住して、満たされているようでいながら、実は、どこまで行っても完全に満たされることはありません。

突発的な変容は起こることがなく、新たな化学変化も起こる余地がありません。明日も明後日も、同じ美しさの繰り返しです。

人生に変化が少なく、成長の機会も少ない、ということになりがちなのです。

 

新たな生態系を生み出す

 

その限界を超えていくために、正反対の性質である、地球星座「蠍座」の性質を思い出すことを、宇宙は教えてくれています。

それはもちろんあなたにもともと備わった性質なのですが、地球上の価値観に染まるうちに、見失ってしまったものと言えます。

地球というせまい檻に閉じ込められ、太陽を見上げる視線でしか世界を捉えられなかったからです。

本当のあなたは、太陽から地球を見下ろしているまなざしです。その方向性を、正反対の蠍座のあり方が、示してくれているということです。

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蠍座は、他者と深く混じり合うことで、自分を根底から覆すような変容を起こすことに、身震いするような高揚を覚える傾向があります。

他者の影響を受けて自分の限界を壊し、相手の限界も壊し、双方が全く新しい何かに生まれ変わることに、生命の輝きを感じるのです。

その化学変化における刺激は何より強く人生を揺さぶります。

 

これこそまさに、牡牛座さんという山が満たされなかった理由なのです。山は山のままでい続けても、この高揚感を味わうことが出来ません。

牡牛座さんはむしろ、深い人間関係によって、自分の感覚世界を乱されるのを嫌うことがあります。

しかし、一度自分の世界をめちゃくちゃに壊すような、守ってきた領域に他者が土足で乗り込んでくるような、そんな体験こそ必要としているのです。

誰かの靴の裏についていた種が、新しい芽を出し、山には何百年ぶりに新しい植物が誕生します。そして山の生態系を少しずつ変えていきます。

 

もちろん、だれもかれも自分の領域に招き入れろというわけではありません。
親しい人間、本当にこの人ならと思える人だけでいいのです。自分の内側深くに招き入れてください。

その関係を大切にするというだけでは飽き足らず、その相手と徹底的に向き合い、本気で対峙することによって、一度、それまでの自分をぶち壊してみてください。

新たな化学変化のようなものが起こり、想像もしなかったような新しい自分の姿を見出すことが出来ます。

それはあなた一人だけでは決して起こすことのできない、2つの液体が混じり合って他の物質へと変化するような反応といえます。

 

私はこういう人だから、私はこれがいいの、という言葉には、一種の諦めであるという側面もあります。自分で自分を決めつけて安心するのはもったいないことだと感じられれば、その一歩先に、まだ見ぬ新しい地表が開けています。

他者から受け取る影響に、今までよりもう少しだけ、心を開いてみてください。波に飲み込まれて自分を見失うような恐怖があるかもしれませんが、それ以上に、人生において本当に大切なものを得ることができるかもしれません。

 

それが、あなたが魂の全体像に還っていくために、かならず必要となるミッシングピースであり、今まで見えていなかった盲点となっていたのです。

その盲点もしっかりと視野に入れてあげたとき、私たちは魂のままに生き始めます。